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この記事は、更新時の情報と筆者の考えに基づくものです。
社員たちにとって、幸せとはなんだろうか?
社員たちは、今、幸せだろうか?
社員たちは、今、不幸だろうか?
そんな社員たちの幸せ、自分に責任があるのだろうか?
おはようございます!
2024年の第42週、早い会社では、すでに冬の賞与の打合せが始まりましたが、ホント、時間ってあっという間やな、とつくづく思っている今日この頃。
さて、今週は少々「重めのテーマ」です。
「社員の幸せな人生、経営者に責任はあるのか?」
ここ数年、「人的資本経営」「エンゲージメント」「心理的安全性」「ウェルビーイング」など、「人と経営に関するキーワード」をあちこちで見かけますが、いずれも「メンバー(社員)のパフォーマンスをどう上げるか?」という経営者の意図が背後に潜んでいます。
これらは、どちらかというと「現在進行形」の短期的な視点ですが、今週は「中長期の視点」で社員の幸せについて整理します。
本稿は「いい会社の3つの条件(その2)社員たちの満足度」の補足記事です。
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【雇用責任】社員の人生に影響を及ぼす自覚
社員を一人雇用したときから、会社には「雇用責任」が生じますが、そもそも「どんな責任か?」です。
一般的には、労基法などの法令遵守、メンタルヘルスを含む安全な労働環境、平等な待遇、教育・研修などの責任と言われています。
しかし、もっと本質的な責任として「社員の人生に対する影響がある」と私は思っています。
どの会社で働くか?によって、社員たちの人生は大なり小なり影響を受けるからです。
稲盛さんは「物心両面の幸福」という言葉を残されましたが、会社をどのように経営するかで社員たちの「物」と「心」、つまり「人生」に大きく影響することを忘れてはならないのではないか?ということであり、これが本当の意味での「雇用責任」だと思うのです。
【幸せの定義】社員たちの「普通の幸せ」とは?
私の幸せの定義は「不幸でないこと」です。
心身に不幸がなければ幸せなんです。
少々厳しいかもしれませんが、心身に不幸がないのに幸福感を感じない人は「足るを知らないだけ」と思います。
特別な状態や、あるいは誰かと比べて優位であることが幸せなのでなく「普通」なら、十分幸せなのです。
- 心身が健康であること
- 身近に争いごとがないこと
- 経済的に安心感があること
- 時間の自由感があること
- 過剰なガマンをしなくていいこと
- 疎外感や孤独感がないこと
- 自分の意志や価値観で生きること
そもそも「幸福感」は、個人によって様々であり「これ」というテンプレートがあるわけではありませんが、大多数の人たちはこのリストが満たされていると、少なくとも「不幸」とは感じないはずです。
視点1:「普通の幸せ」を邪魔しない経営
タイトルの「社員の幸せな人生、経営者に責任はあるのか?」の答えは「ある」です。
ただし、それは「幸せにする責任」ではなく「不幸にしない責任」のことです。
上記の幸せリストに悪い影響が及ぶような経営をしてはならない、という意味の責任です。
- 心身の健康に悪影響を及ぼす経営
- 職場環境が劣悪で、仲間同士の争いを放置する経営
- 将来にわたって経済的に安心感が持てない経営
- 残業や休日出勤が常態化し、時間の自由度が少ない経営
- 様々なハラスメントを放置する経営
- 社員のメンタルに無関心で、疎外感や孤独感があっても気付かない経営
- 価値観の押し付けや偏見によって、個人の意志や価値観を無視する、あるいは抑えつける経営
例示するとこんな感じです。
程度の差はあっても、中小企業でよく見かけるシーンですが、まさか心当たりはないですよね?
これらのうち、ひとつでも社員たちが感じていれば、彼ら彼女らの「普通の幸せ」を邪魔している可能性が大です。
視点2:チャンスを与え、奪わない経営
上記の「普通の幸せを邪魔しない経営」は守るべき最低ラインであり、もう少し積極的に考えれば「社員たちのチャンス」について考える必要があります。
社員たちの幸福感を高めるために「もっと幸せになれるチャンス」をどれだけ提供できるか?です。
具体的には「成長の機会」です。
個々の状況に応じて、成長を目的とする仕事の機会を与えたり、また、そのための研修やトレーニングの時間を設けたり、あるいは、人事評価制度を効果的に運用するなど、彼ら彼女らの成長を後押しする様々な施策が「社員たちにチャンスを与えること」になります。
経営側が用意するこれらの成長機会を「モノにするかしないか」は、もちろん社員たちの自己責任であることは言うまでもありませんが、少なくとも「チャンス(機会)を提供する責任」は経営側にあり、これも「雇用責任」のひとつです。
視点3:社員の人生を当事者として捉える
このテーマで大切なのは「社員の人生を当事者としてとらえる視点」です。
彼ら彼女らの人生に影響するという意味で「当事者」であり、これは「他人事」ではありません。
- 社員たちは、日々楽しく仕事に取り組めているだろうか?
- 社員たちは、安心して年齢を重ねることができるだろうか?
- 社員たちは、自分が引退するとき、路頭に迷うことはないだろうか?
これらをひっくるめて「社員たちは当社に満足してくれているだろうか?」です。
社員たちの人生に影響を及ぼす当事者としての視点を持つことで、チームビルディングを含む人事施策のクオリティが大きく変わります。
社員たちのキャリア設計における「満足度」は、「顧客満足度」と同レベルであり、会社経営にとってとても重要なテーマです。
(参考記事)基礎スキル|経営者にありがちなコミュニケーションの盲点?
【原理原則】改めて「いい会社」を再確認
さて、ここまで読んでもらってどう思いますか?
「そんな余裕ないよ」ですか?、それとも「そこまで責任を負えないよ」ですか?
そもそも、このテーマは賛否両論あるので「べき論」で伝えるつもりはありませんが、私の経験上、経営者が「社員たちの幸せ」という視点を持っている会社の多くは「いい会社」であり、それは「条件」でもあると思っています。
その理由は次の通りです。
- 「いい会社」なので、採用のおいて「選ばれる確率」が高い
- 自分の人生をまじめに考えている優秀な人材が共感してくれる
- 安心して働ける会社なので離職率が低い
- チャレンジ機会があるので、成長しやすい
- 優秀な人材が集うチームなのでパフォーマンスが高い
(関連記事)「会社は道具」という真の成功のための最重要視点:その1
【まとめ】不偏の原理原則
さて、どうですか?今週は、少々深く突っ込んで「社員たちの幸せに対する経営責任」について整理しました。
- 社員たちの幸せを考えることは「雇用責任」であること
- 「普通の幸せ」とは「不幸でないこと」
- 社員たちの「普通の幸せ」を邪魔しない経営
- チャンスを与え、奪わない経営の視点
- 社員たちの人生を当事者としてとらえる視点
- 社員たちの幸せを考えることは「いい会社の条件」であること
私がこの考え方に至ったのは、自分の税理士事務所の事業承継を計画しているときでした。
メンバー(社員たち)の幸せってなんだろう?と考えると、自分もそうだったように「一国一城の主」として独立することでした。
そう考えた時、自分の事務所は道具なので「モノ(事務所)を残す欲」はなくなり、後継者にとってのベストを優先した結果、おかげさまで二人の後継者が育ち、お客さんを承継し独立してくれました。
もし「何が何でも事務所を引き継いでほしい」という自我で進めていたら、後継者が育たないばかりか、彼らは私の引退を待たずに退職し、途中で崩壊していたかもしれません。
改めて「関わる人たちの幸せ」という原理原則は普遍であるという思いを強くしたので、今日の話を整理しました。
関連記事も含め参考にしてみてください。
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